くま部長ブログ

くま部長が経営、マーケティング、ビジネス全般、ファイナンス、たまにプライベートをつづったりします

コミュニケーションの目的は結果を出すこと

コミュニケーションの目的は、相手に自分の意思を伝え、相手に行動を変えてもらうことにあります。

 

結果の出ないコミュニケーションは、コミュニケーションではありません。カンバセーションです。

 

分かってもらえなくてもいいや、というコミュニケーションが成立する可能性は低いです。棒ほど願っても針ほどしか叶わないのがコミュニケーションというものです。

 

さあ、明日も結果をだそう。

 

次は、コミュニケーションの「王道」について。

また次回。

立場で変わる景色

よく言われる事なのですが、与えられた責任範囲で、同じ物事を見ても景色が変わるのだそうです。

 

責任によって景色が変わるということです。

 

4月から与えられた責任、きちんと全うすべく頑張ろうと自戒を込めて。自分の良いところを失わず、謙虚に、ヒトの話しをよく聞いて、フィードバックを受けながら、「責任範囲に打ち勝てる精神力と実行力」を備えていければと思う今日この頃でした。

 

取り留めないなー。。。

言うか言わないか迷ったら言う

日々の仕事の中で、何か問題点の具申、気がついたこと、意見があることがでてきて、一瞬言うか言わないか迷うとき。

 

迷ったら言う、という文化の会社にしたいなと思います。

 

迷わずに「言わないでおこう」と思っても、何か思うことがあれば、言ってしまう文化の会社にもしたいです。

 

言わないと会社がつぶれることだってあります。

 

言えば、会社は良くなります。

 

ここまでは基礎編、ここからは応用編です。

 

とはいえ、圧倒的な当事者意識を全員が持てているような場合は、少ないと思います。先日言及したリクルートさんは別かも知れません。

 

当事者意識を持つために必要なことはなんだろう。

 

実は、役割分担が明確にされている、という基礎条件が当事者意識の必要条件なのではないかと思います。

 

自分の持ち場の役割分担が明確に定義されていれば、その持ち場を超えて言うことは、ある意味で「おせっかい」になります。

 

ただ、会社をよくするには、この「おせっかいライン」という離脱ポイント、谷を越えて欲しいわけです。

 

役割分担が決まっていないと、自分が思ったことを言うことが、恥ずかしい等々のもともとの言いづらさに加え、どこからが圧倒的な当事者意識につながるかが不明確になり、「言うか言わないか迷っている人」のコンバージョン「言う」確率が下がります。

 

明確な役割分担のもと、会社をよくするためのおせっかいを言いやすい文化。

 

結構、できそうでできない会社は多いのではないでしょうか。

 

・迷わず言う

・そのために当事者意識を持つ

・当事者意識を発揮するためにも役割分担を明確にする

 

三段論法としてねりきれていない感もありますが、いかがでしょう?

コミュニケーションの王道

王道は継続することだと信じています。

 

会社に「苦手だな、、この方」という方が仮にいらっしゃるとします。いっぽうで、自分一人でできることはあまりにちっぽけで、限界があります。

 

であれば、コミュニケーションして、相手に自分がお願いしたい通りに行動を変えていただけるよう、そして自分の求める結果を出すための協力者となっていただけるよう、コミュニケーションして相手にお願いし、行動していただく必要があります。

 

コミュニケーションの主語は相手です。相手に伝わり行動が変わらないと結果が出ないという類のアクティビティです。自分の一方的なお願いは単なる一方通行で、相手の行動が変えられない会話はコミュニケーションまでには昇華しておらず、カンバセーションどまりと思わなくてはいけません。

 

コミュニケーションして相手の行動を変えられるかは、等身大の自分で、コミュニケーションしたい=行動を変えて欲しい相手と、できるだけ継続して話し続けることが大事です。

 

毎日毎日、コミュニケーションしようとして話しかけ続けていると、やがて自分というものの器や考えが相手にバレてきます。逆にいうと、毎日毎日コミュニケーションしようとして等身大の自分が誠実に相手に伝われば、少なくともコミュニケーションの受け手との信頼関係が結べる確率が高まります。だって毎日話しかけてきたら、相手を尊敬したくなりませんか、ある意味で。

 

結局、コミュニケーションしたい相手が最初苦手であれば、人間そんなもので、苦手な相手のことは一生そのまま苦手かも知れませんが、プロフェッショナルとしてお互いにリスペクトするところまでは到達できるのではないでしょうか。

 

コミュニケーションの王道=継続によって。

 

結論: コミュニケーションは継続し、信頼関係を結び、相手の行動を変えることが目的であり、その点において重要であり、かつ評価されるアクティビティです。

 

自分はまだまだできていないので、精進します。

圧倒的な当事者意識

リクルートホールディングスの峰岸社長のインタビューをNewsPicksで見つけました。インタビューを受けるのは珍しいそうですね(というコメントをNewsPicksで見つけました。)

 

修羅場は与えられるものでなく、みずからつくるもの

https://m.newspicks.com/news/2114113/

 

修羅場がどの頻度で、どのような形相でやってくるかは、人によって違うでしょう。個人でリスクをとってビジネスをしている方には頼んでいなくても毎日修羅場がお目見えするでしょうし、企業勤めの方にはあまりやってこない代物かもしれません。修羅場をできるだけ避けるという考え方もあります。

 

私も勤め人です。幸い上司に恵まれ、1年に1回以上は修羅場を恵んで頂いているような気がします。緩んだ腹も修羅場中は縮まります。

 

インタビューで慧眼だったのは、次の一節でした。引用します。

 

「圧倒的な」当事者意識とは、自分の持ち場を越え、分をわきまえないことを意味します。他者からすれば一瞬余計なおせっかいと思われても、顧客や事業価値向上に貢献すると思えば実行し、成果にも責任を持つことです。これが「圧倒的な」という言葉に込められています。

 

なるほど、だからリクルートは人材の宝庫なんだなと思いました。定められた自分の持ち場で結果を出すだけではなく、その持ち場を越えて会社を改善・変革することが奨励されるそうです。

 

チームの強みを最大限に引き出して持ち場で結果を出すのは当然として、今までの成果に甘んじず、昨年より今年、今年より来年、より効率的な方法を編み出す、今までにない価値に挑戦することが、企業文化として根付き、奨励されているとのこと。そりゃリクルートで人が育つわけだと。

 

コーポレートサイトにもこの理念が書いてあります。

 

リクルートの企業文化とビジネスモデル
http://www.recruit.jp/company/about/involvement/uniqueness/detail.html

 

圧倒的な当事者意識、ってそのままコーポレートサイトに書いてあります。圧倒的な当事者意識、というワードでググっても検索上位にリクルートのコーポレートサイトが表示されます。コーポレートサイトに、圧倒的、と惜しげも無く書いてあります。恐るべし。ぜひ一度見て見てください。

 

修羅場を作り、尊び、飛び込めなくなったらマネジメント失格と肝に命じました。そして、修羅場に志あるものを自ら飛び込ませるために、「自分はこの事業をどうしたいか」と上司から問われるのだそうです。きっと、その上司の方も先代の上司から同じことを問われて文化として定着したのでしょう。

 

まずは、自分に対して、自分はどうしたいのかストイックに問うてみることにします。しかし、恐れ入りました。